不動産屋さんの社長って(愛和住販社長ブログ)

愛和住販っていう不動産会社の社長の日記です。社長っていっても零細不動産屋ですから大したことないです。そもそも社長に向いてないし・・ジョブチェンジするなら迷わず「吟遊詩人」にします(笑)

不動産の買い取り・売買・賃貸を坂戸・川越を中心に埼玉県をメインに営業している不動産会社です。新築戸建て・中古戸建てやマンション・売地など取り扱っています。賃貸の仲介もやってます。

カテゴリ:全般 > 昭和時代

今日、9月10日は「公衆電話の日」です。今から120年前の1900年に初めて公衆電話が設置された日だそうです。いまや携帯電話が普及しているのでほとんど公衆電話なんて見かけないし使いませんが、東日本大震災の時は公衆電話に長蛇の列ができていました。あの時に公衆電話が少し見直されてましたね。
公衆電話といえばボクがまだ若く美少年だった昭和時代には好きな女子の家に電話をするのは専ら公衆電話でした。10円玉数枚と100円玉数枚を持って公衆電話へGO。最初に10円玉を入れて電話をかけます。何故なら100円だとお釣りがでないのでお目当ての女子と話せない時は無駄になるかるかです。因みに今の子は知らないかもしれませんが50円玉は使えません。電話かけて相手が出るまでドキドキします。本人が直接でてくれればいいのですが、それはほとんど奇跡的なことで大抵はお母さんが最初にでます。「××と申しますが、○○さんはいらっしゃいますか?」などと普段使わない敬語を使います。お母さんですらこうですから、運悪くお父さんなど出ようものなら緊張感はMAXです。それでもすぐに本人に代わってくれるならいいのですが、時々「どういった御用件でしょうか?」などと丁寧語で聞き返されると一瞬言葉に詰まります。そんなの単にアンタの娘の声が聞きたいだけに決まってるでしょうに。と思いつつ「明日の学校行事の件で緊急で打ち合わせがありまして」みたいな答えを返します。てか、お父さん本当はどんな要件か分かっているくせにこのイケズ。そんなこんなで無事、お目当ての女子が電話口に向こうに登場したら100円玉を投入し買ってきた缶コーヒーを空けてようやく落ち着くわけです。ボクは比較的自分で電話してましたが友人の弱木田君(仮名)はお目当ての女子を呼び出すまで友人に最初に電話してもらってました。もちろんボクも何度も弱木田君の依頼を受けていました。他人の代役だと全然緊張しないんですね。さて、公衆電話はウルトラマンのカラータイマーの如く、残り時間が少なくると「ブー」というブサー音がします。持参したお金が尽きてついに大好きな女子とお別れの時間というわけです。携帯・スマホの現代ではこんなことありえないのですが、ボク達昭和の若者の多くが経験したことがあると思うちょっぴり切ない公衆電話のお話でした。
公衆電話

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ボクはよくサイゼリアに行くのですが麺類好きのボクでもパスタは嫌いじゃないけど好きと言う訳ではありません。というかボクのなかで麺類は「汁がある」というというのが定義なのでパスタはボク的には「麺類に近い食べ物」という位置づけです。かけうどんは麺類だけど焼うどんは麺類に近い食べ物。という括りです。でもたまにパスタを食べているとふといつから「パスタ」なんていうオシャレな呼び方になったんだろう?と思ったりします。ボクの子供の頃は「パスタ」なんていう食べ物はなく「スパゲティー」という食べ物しかありませんでした。そして当時は「スパゲティー」はかなりハイカラな食べ物でありハイカラな呼び方でした。そんなハイカラさんな食べ物を最初に食べた日の事は覚えていませんがボクの中で「スパゲティー」と言えば「ママーゆでスパゲティー・イタリアン」です。
ママスパ
ボクは「粉で作るスパゲティー」と呼んでます。このスパゲティーは茹でません。ていうか最初から茹でてある?作り方はフライパンに油をしいて麺を炒めます。そしていい感じに麺がほぐれたら付属の粉を麺に降りかけて出来上がり。そう、ほぼ「焼きそば」です。いや完全に「ソースじゃない焼きそば」です。でもこれがボク的にはスパゲティーなのです。これぞ「昭和のスパゲティー」なのです。そんなわけでボクはスパゲティーって焼きそばのパクリだとずっとそう思っていました。いまや色々な種類のパスタが登場しましたが、昭和のスパゲティーは「粉で作るスパゲティー」一択です(笑)なのでボクはいまでもコレが一番好きな「スパゲティー」なのです。ところが最近ではこの商品はとんとスーパーで見かけなくなりました。ネットでは買えますが食堂を経営しているわけでないので送料を払ってまで買うほどではないのですが、たまに無性に食べたくなります。そんな折、先日嫁が「ドン・キホーテ」でこの「粉で作るスパゲティー」を発見し購入してきました。早速、喜々としながら食しました。
1
ボク的には具材は「魚肉ソーセージ」と「ピーマン」です。(人参は余計です)ただ本当にオイシイのはノー具材の「素のまま」で食べるのが一番です。まぁ昭和時代のインスタント系は何も引かない何も足さないのが基本形ですから「素のまま」でも十分おいしく食べられないとダメです。もっとも嫁や友人はこの「粉で作るスパゲティー」を美味しくないとは言わないですがあまり食いつきません。みんな昭和時代の人間なのに一体どうしたことでしょう。ボクがハイカラさんなんですかね(笑)てなわけでみなさんも「粉で作るスパゲティー」を一度食べてみてください。因みにボクはコレでご飯もイケます。

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いやぁ~暑いですなぁ・・
ここ数年は毎年「殺人的暑さ」の夏ばかりです。
ボクが少年だった頃は、夏というと30℃~33℃。
35℃も滅多に見ることがなかった気がします。
ましてや40℃なんて想像すらしていなかったですね。
だから朝一でラジオ体操に参加した後はほぼ一日中外で遊びまわっていた気がします。
さて「海なし県」の埼玉で生まれ育ったボクにとって「水辺」といえば川です。
プールは学校以外はお金がかかるので、夏で水辺と言えば川です。
チャリで暑い中川まで行って川で泳いだり魚をとったりするわけです。
実は川は結構デンジャラスです。
ボクも何度か溺れて死にそうになった経験があるのですが、
川は海と違っていきなり深くなったり、底の方が流れが強かったりします。
海は沖にいかなければ深くはならないと思うのですが、
川の場合はちょっと移動しただけでいきなり足がつかなくなったりします。
では「川で溺れたたらどうしたらいいか?」というと
慌ててもがいてはいけません。もがけばもがくほど脱出できません。
とにかく一回息を吸ったらそのまま何もしないで流されるの一番です。
力んで手足をバタつかせているといつまでたってもその場で浮き沈みするだけですが、
力を抜いて流れに身を任せていればすぐに足のつく所まで流れていきます。
ここが海とまた違う所で、海はどんどん沖に流されるのですが
川がどんどん岸辺に向かって流されるので安心して流されてください。
あくまでもボクの経験則ですが、ボクはそれで何度も命拾いしています。

そんな川遊びというと思い出しますが昭和時代には川の土手に、
今思うと大学生とか高校生くらいのオトナが数名いました。
この人たちは何をするのかというと、川で溺れている小中学生の子供達を発見しては救助するのです。
海やプールにいるライフガードみたいな存在です。
もちろんタダではありません。その子やその親から数千円の報酬を受け取ります。
救助された時はその親はいなくても次の日に川に行って
昨日助けてもらったお兄さんに親がお礼します。
また助けてもらった時にはそのお兄さんの名前と電話番号を教えてもらうというか、
そのお兄さんたちは予め自分の名前と電話番号をかいたメモ用紙を用意してあり
帰宅後に親に経緯とメモ用紙を渡すという次第です。
だから「昭和の川遊び」は親が同伴しなくても結構安心して遊ぶことができました。
もちろん遊ぶ側も川の土手にいる有料ライフガードのお兄さんたちから見える場所で遊びます。
そんな「昭和な川遊び」がボクの少年の頃の夏の思い出のひとつです。

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いよいよ「平成」の明日で最後ですね。
元号が変わったからと言って日常生活は変わりませんが、
何となく心機一転の新しい気持ちに一瞬はなります。
ボク等がまだ若いころ、昭和の前が大正でその前が明治。
なので「明治時代」「明治生まれ」と聞くと、
結構、「遠い時代」「古い人」みたなイメージが無かったですか?
そう思うと、令和時代が始まると「昭和」は、前々代の時代で
令和生まれの人は「昭和」は遠い時代。というイメージになるんでしょうね。
ボクの人生の中では昭和と平成がほぼ半分づつ。
正確に言うと昭和より平成の方が長く生きています。
ですから「平成育ち」と言っていいのでしょうが、
生まれが「昭和」なのでどうしても昭和時代の人となってしまします。
丁度、マリーンズの井口監督の現役生活が、
「マリーンズ」在籍期間が一番長いのにホークスの選手のイメージと一緒です(分かり辛っ)
それでも昭和と平成とどっちが良かったか?と聞かれればやはり「昭和」ですかね。
青春時代が昭和だったからなのかも知れません。
平成時代は色々と世の中便利になりましたが、昭和のあの不便さが懐かしくなります。
そんな「昭和」も令和時代の到来でますます遠く感じます。
まぁボクも年齢が年齢なのでおそらく令和時代に人生の終焉を迎えるのでしょうが、
昭和~平成~令和と3つの時代を過ごせるのは意味もなですが幸せかなと思っています。

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今日は朝から遠くで賑やかな音楽がなってるなぁって思っていたら
坂戸小学校でどうやら運動会が開催されているようです。
そいうえば明日は体育の日でしたね。
各地で運動会も真っ盛りなんでしょうね。
昔は体育の日は10月10日でしたけど
スマイルマンデーでしたっけ?祭日を月曜にして3連休にしましょう
みたいので10月10日ではなくなりました。

さて我等昭和の運動会は、確か春と秋と2回ありました。
春は「小運動会」で、秋は「大運動会」とか呼んでいた記憶があります。
男子的には、運動会と言えばまず組体操ですね。
ピラミッドがメインでした。
そして「騎馬戦」です。「騎馬戦」ではなく「棒倒し」の学校もありましたが
ワタクシの記憶は「棒倒し」よりも「騎馬戦」ですね。
ワタクシの通っていた学校では、必ず血を見ることになるのが「騎馬戦」でした。
花形は一番最後の「クラス対抗リレー」です。
こう見えてワタクシ足は速かったので毎年リレーの選手に選ばれていたんですよ(得意げ)
運動会が近くなると、体育の授業時間は運動会の練習ばかり。
放課後とか休み時間にもリレーの練習をしているクラスもありました。(マジメか)
そうそう、運動会と言えばフォークダンスとかありましたよね~
これまた体育の授業で女子と合同で練習するのですが
大抵、好きな女子の手前で音楽が終わってしまいます。
で、そこからまた音楽が流れて練習再開となって
次は好きな女子と手をつなげるとドキドキするも
何故か「逆回り」になって・・・結局好きな女子とは手を繋げないまま終わるわけです。
運動会の「ある・ある」ですよね(笑)

ともあれ運動会の季節です。
学校だけでなく、地域や幼稚園など父兄参加の運動会も行われますが
おじさん達は決して無茶をしないようにお願いします。
おじさんになると、イメージに身体がついていかなくなりますから。
とくに全力疾走は控えた方が良い。と老婆心ながら一言いわせていただきます。

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