不動産屋さんの社長って(愛和住販社長ブログ)

愛和住販っていう不動産会社の社長の日記です。 多分、自分は社長タイプじゃありません(白目)

不動産の買い取り・売買・賃貸を坂戸・川越を中心に埼玉県をメインに営業している不動産会社です。新築戸建て・中古戸建てやマンション・売地など取り扱っています。賃貸の仲介もやってます。

カテゴリ:地域 > 埼玉県のこと

突然ですが皆さんは埼玉県にいくつ「市」があるか知ってますか?こんなこと埼玉県民だって知りませんよね。数えた事ないし。不動産物件をネットに入力していると住所入力欄に「市名」の選択が出るんですけどなんだかやたら多い気がする埼玉県。そんな埼玉県には40の市があるんです。実はね、これ日本一なんですよ。埼玉県は日本一「市」の数が多いんです。いや「市が多いなぁ」と薄々思ってはいたのですけど日本一とは驚きました。ちな2位の愛知が38で3位の千葉が37で最少は鳥取県で4市だそうです。「市制」が公布されたのは明治21年で、埼玉県で一倍最初の「市」はボクの住む「川越市」です。( ー`дー´)キリッ 大正11年に「川越市」が誕生したときの県庁所在地は「北足立郡浦和町」です。当時県庁所在地でありながら「市」になっていなかったのはここ埼玉と宮崎県・山口県だけだそうで。浦和が「市」に格上げされたのは、川越・熊谷・川口に続いて県内では4番目で昭和9年。県庁所在地の中では日本一「市」になったのが遅かったんですね浦和は。まぁ違った意味で日本一ですからそれはそれでいいですが。「市」になる条件は人口5万人以上。中心市街地の戸数が全戸数の6割以上など色々とやかましいのですが、やはり埼玉の人口が増えて賑やかになった第一次産業の割合が減ってくるのは戦後復興期から高度成長期あたりということですね。昭和24年に戦後初の「市」は「行田市」です。愛和住販のある坂戸は昭和51年に「市」になりました。ボクは中学生の頃川越市から鶴ヶ島市に引っ越してきましたがその頃「入間郡鶴ヶ島町」でしたからね。さいたま市は平成13年。平成の大合併ってヤツです。で一番新しいのが平成24年に誕生した白岡市です。因みに現在埼玉県で「村」は「東秩父村」しかありません。この界隈は「小川町」「滑川町」「嵐山町」「ときがわ町」あたりが合併すると県下41番目の「市」になりますかね?何はともあれ埼玉は日本一「市」の多い県ですから埼玉県内の不動産屋さんは日本一ネットへの物件登録が面倒くさいのかもしれません。鳥取県のように4市だと逆にひとつの「市」が広すぎて大変だとおもいますが・・

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当社は埼玉県の不動産会社ですので取り扱っている物件のほぼ8割が埼玉県内の物件です。お客様も当然埼玉県民のお客様が多いのですが近隣の都道府県はもちろん、いまはネットが発達しているので遠方から埼玉県へ引越ししてくるお客様もいます。というわけで埼玉県の企業として少し埼玉県をアピールしたいと思います。まづ今回は「埼玉県」という名前の由来を書きます。「だ埼玉」と呼ばれだしたのはボクが10代の頃からですからもう慣れましたが、「埼玉県」という名前の由来は「さきたま古墳」から来ています。行田市に「さきたま古墳公園」という公園があってそこには「埼玉県名発祥之碑」があります。7世紀ころの埼玉には「知知夫」(チチブ)と「无邪志」(ムサシ)という国があったそうで8世紀になって埼玉の前身となる名称が使われだすみたいで「万葉集」にも「佐吉多萬」「前玉」という記述があり「サキタマ」と読んだそうです。それから時が過ぎ明治4年に埼玉県が誕生しましたが当時は現在の県域に多くの県があって統廃合を繰り返していました。まず今の群馬県高崎市あたりの岩鼻県が誕生して埼玉県域の管轄しました。それから大宮県(そのごすぐに浦和県に改称)・川越県など誕生しましたが全て廃止され、岩槻に県庁を置く埼玉県と川越に県庁を置く入間県が作られました。入間県は群馬県(現在の群馬県とは別物)が合併して熊谷県になり明治9年に前述の埼玉県と熊谷県が合併してようやく今の埼玉県になったというわけです。その時に県庁が岩槻から浦和に移ったのですが「埼玉」が県名として残ったそうです。いまでこそ「だ埼玉」などと言われていますが「埼玉県」という県名は伝統ある素晴らしい県名なんですよ。(`・∀・´)エッヘン!!

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